さて、謎の古文書に書かれたうつろ舟もいよいよ大詰め。ここから最後の部分です。

うつろ舟資料 最後

五日ノ夕方□□□此如モノヲ書
死ス所ノ寺葬る

漂着5日目の夕方、女性が亡くなる直前に、このような謎の文字を書き残した、とあります。

うつろ舟謎文字

なんでしょう、遺書のようなものでしょうか。それとも何か大事なメッセージを伝えたかったのでしょうか。
何と書かれているのかはもちろん分かりませんし、他の資料でも、こんな遺言のようなものを書き遺した、なんていう話は見たことがありません。

そして最後は衰弱のためか、息絶えて寺に葬られた、とあります。この結末も他の資料では見られないものです。


■うつろ舟の謎解きに挑戦

さて、いかがだったでしょう?
これまで知られたうつろ舟と、似ているようで大きく違う内容であったことがお分かりいただけたと思います。
おもな特徴をまとめますと、

  • 文中に「うつろ舟」という表現が一切出てこない
  • 他の資料とは漂着場所が異なる(常陸の国はらやどり→房州の湊)
  • 謎の宇宙文字のようなものが、他の資料とは微妙に異なる
  • 見分にあたった者の名前が記されるなど、報告書か記録書のような印象。
  • 話の結末が違う(乗っていた女性は最後に死亡)
  • 亡くなる直前に謎の文字を書き残している

最初は馬琴らのうつろ舟を下敷きにしたものだろうと思っていた私も、ここまで内容が異なると、さすがにこれはいままでのうつろ舟とは別系統のものではないかと考えるようになりました。

では、単純な写しでないとすると、どういった可能性が考えられるでしょうか

  1. 馬琴らのうつろ舟を参考に、適当にストーリーを変えて作られた創作物
  2. まだ世に知られていない未知のうつろ舟事件の話を下敷きにした写し
  3. 本当にこういう事件が起きた、そのときの記録(もしくはその写し)

いろんな可能性が考えられますが、最後に私なりの推理を述べて締めくくりたいと思います。
上の3つでいうと2と3に近い考え方なのですが、まず房州でちょっと謎めいた異国船の漂着事件が実際に起きた。
一方で、常陸の国を中心に古来から語り継がれていたうつろ舟伝説というものがあった。
この両者がそれぞれ人づてに話が伝わっていく過程で、一つの話に混合してしまった。

うつろ舟推理

今回の古文書に「うつろ舟」のキーワードが全く出てこないのは、これがいわゆるうつろ舟伝説とは出自の異なる資料であることを伺わせます。
それはやはり、もともとは「異国船漂着事件」のひとつであったのだろうと思います。
享和三年という、全国各地で異国船目撃事件が増え始めた時代を背景に、異国や異人への庶民の関心も大いに高まっていたはず。
そこへ古来からのうつろ舟の話が重なって、「ふしぎ話」として尾ヒレがつき、馬琴らの「うつろ舟の蛮女」へと変化していったのではないでしょうか。

特に、馬琴と安房の国は「南総里見八犬伝」でつながりがありますから、馬琴が八犬伝に絡んで安房の国の情報収集をする過程でこうした漂着船の話を耳にし、それを兎園小説の元ネタとした可能性も十分考えられると思います。

それから、例のUFOのような舟ですが、これはちょっと飛躍した推理になるかもしれませんが、この舟の絵、

うつろ舟

たしかにお椀型に見えなくもないですけど、たとえばこれ、「普通の舟を真正面から見た図」とは考えられないでしょうか。
つまり、漂着船はもともと普通の小舟の形だったのを、たまたま正面から描いた図が「お椀型」と誤解され、古来のうつろ舟のイメージと重なって広まってしまった、と考えるのは無理があるでしょうか。

さて、みなさんはどのように思われましたか?
皆さんそれぞれのユニークな推理でもって、江戸の謎解きに挑戦してみてください。

うつろ舟はUFO?

うつろ舟史料

うつろ舟史料全文(クリックで拡大)